分析哲学との出会い

「なんで哲学なんて浮世離れしたものを勉強しているんだ自分は」とよく思う。どこで道を踏み外してしまったのか()

いくら意味を聞いてもわからない言葉は出てくるし、就職の何の役にも立たないし(なんなら面接で哲学やってますて言ったらマイナスじゃないか?)、もともとどうしようもない感じの人間だったがもっとどうしようもなくなりそうだ。

だが、大学で哲学に出会ったことを後悔しているかというとそうではない。

そもそも哲学にはずっと昔から出会っていたのだ。



(たしか4,5歳の頃だったと思うが、)子供の頃に受けた人生最大のショックは「家族でも心が繋がっていない」だった。「何を当たり前なことを」と思う人が大半だと思うかもしれないが、その頃まで家族はみな全く同一の思考を共有していると信じて疑わなかったし、そうではないと気付いた時は独り泣いてしまった。(逆にその頃までそう思えていたのは両親に恵まれていたのだろう。)

「家族でも心は違う」、そう感じたきっかけは忘れてしまったが、特に叱られたりしたわけではなかったと思う。 ただ、ふと気付いてしまったこのことが自分の哲学の始まりだったような気がする。



そして、当然その後は自我を確立しつつ成長を続けるのだが、次の契機を高校時代に迎えた。 これはたしか古典の授業で性善説性悪説を扱った時だったのだが、ふと「そもそも自分たちは心だけでなく世界すらも共有できていないのではないか」と感じたときだ。

その後も、「生まれた時から性質が異なっているのではないか」、「国や文化によって見えているものが違うのではないか」など世界に対する疑いは溢れてきりがなかったが、もっとも気になっていたのは「色覚差があっても感覚そして世界は共有できているのか」だった。

例えば、僕が青色に視えているものが、Bさんには「私にとっての赤色」に視えていたとしても、Bさんはずっとその色を「青」だと思って育ってきているので、その違いを証明することなどできないのだ。このことは、色覚差に限らず、聴覚差、嗅覚差などにも言えることであり、もはや絵画や音楽の美しさ、料理の美味しさなどは本質的に共有できないとも考えられる。

この問いのせいで、幸せではあったのだが、なんだか時折ひどく虚しくなっていた。(まあ、所詮人は孤独だと割り切れてもいたが。)



そして東京大学に入学し、正直最初の数年は遊び呆けていたのだが、色覚差を勉強してあの問いを解消するために心理学を学びたいと思っていた(特に東大の心理学は脳科学にとても近いのもよかった)。

しかし、遊び呆けていたツケにより進振り制度によって心理学には進むことができず、美学芸術学に進むこととなった。 自業自得と思いつつ少し悲しかったのだが、授業として受けた富山豊先生の論理学や三浦俊彦先生の分析美学に惹かれ、そして野矢茂樹先生の分析哲学の授業に出会い、自分がやりたいのはこれだったのだと感じた。

分析哲学は論理学や言語を礎として感覚よりも言語的概念による世界の捉え方を目指すので、これならばあの問いになにかしらの答えを出せると確信し、まだ道半ばだが、勉強を続けている。

また、分析哲学の論理学に則った議論は厳密で、本来学問とはプログラミングコードのようにバグがひとつでもあれば全体に影響が及ばされるものでなくてはならないと思っている自分にとって(他の哲学を否定するわけではないが)性にあっていると思った。 また分析美学ではなく分析哲学を勉強しているのも、分析哲学の方がより厳密で本質的だと感じたからだ。(分析美学が分析哲学の美しさを失っているとしたらなんという皮肉だろうか)

ともあれ、分析哲学を学んでいくことに後悔はないし、大学に限らず社会に出てからも人生の一つのワークにしていこうと思っている。



今後、分析哲学を主として気になった哲学的な議論をいくつかピックアップしていこうとは思うが、圧倒的な知識不足がために哲学科の人には稚拙な議論であり、逆にそうでない人にはよくわからない議論になってしまうかもしれない。ただ、できるだけ双方にも伝わるよう努力はしようと思う。では。

P.S.昔、高校生のときに金曜特別講座なるもので野矢茂樹先生の授業を映像で受けたのだが、帰ってから母親に「今日の授業面白かった!マタニティの話だったんだけど!」と言った自分が分析哲学をやるというのも変な話である。(メタファーの間違いだった。今も母親にネタにされる。)